建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

この岩の上に  マタイ16:15~18

1996-5

1996/5/19

この岩の上に   マタイ16:15~18

 (1)新約聖書は、教会の基礎について、「(教会の)土台はイエス・キリストである」(Ⅰコリント3:11)、「あなたがたは使徒たちと預言者たちという土台の上にたてられた。キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である」(エペソ2:20)と言っている。これに対してマタイ16:15~19はこう言っている「そこでイエスは答えて言われた『ではあなたは私を誰というのか』。シモン・べテロは答えて言った『あなたは生ける神の子キリストです』。イエスは彼に答えて言われた『幸いだ、バルヨナ・シモンよ。あなたにこのことを開示したのは、血と肉ではなく、天にいます私の父である。そこで私もあなたに言う。あなたはべテロである。そしてこの岩の上に、私は私の教会をたてるであろう。黄泉の門もそれに打ち勝つことはないであろう。私はあなたに天国の鍵をさずけよう。あなたが地上で結ぶことは天でも結ばれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(ザント訳)。
 ペテロの主告自を実現したのは、「血と肉」すなわち無知で誤ったあるがままの人間ではなく、天の父によってである。またここではべテロは「バルヨナ、シモン」すなわち、ヨナの子シモンの意味であるが、しかしアラム語「バルヨナ」はテロリストの意味だという(クルマン)。血縁的にはべテロはヨハネという人の息子(ヨハネニ一章)、イエスによってアラム語で「ケバ」(岩)ギリシャ語では「ペトロス・べテロ」というあだ名を与えられた(ヨハネ1:42)。ペテロの呼び名は、本名シモンよりも、あだ名「ケパ」が広まっていたようだ(Ⅰコリント15:5、ガラテヤ1:18、2:9、など)。
 「この岩の上に」の「岩」は原語で「ペトラ」。したがって「ペトロスロ」という名この「ペトラ・岩」はかけ言葉であり、教会の比驗的な表現、すなわち、ペテロは教会全体を代表する。この固い岩の上に教会は建てられる。彼はこの教会の継続的な基礎と定められたのだ。
 「この岩の上に」の解釈で、カトリックはこの岩を「教皇」の存在とみなし、しかもこの教皇の存在は「その後継者」と考えられた。
 宗教改革者ルターは、この「岩」をべテロでなく「隅のかしら石」すなわち「キリスト自身」を意味するとみなす(エペソ2:20、マタイ21:42)。クルマンによれば、ルターは「この岩のうえに」を人間ぺテロではなく「ペテロの信仰告白」(マタイ16:16、ピリポカイザリアにおける主告白)に結びつけている「あなたは岩である。あなたが《真の岩なる正しい人(キリスト)》を認め、この方を型書がいっているようにキリストと呼んだからである。ある教皇の回効が解釈しているように、教会はローマ教会という岩の上にではなく、むしろべテロが全教会のために《告白した信仰の上に》たてられているのである」。
 カルヴィンは「岩の意味」をルターより少し拡大する。「この言葉は、実際キリストに対するペテロの信仰についてのみ言われている。《岩》という呼び名はシモンに対してと同様に《ほかの信徒たち》にも向けられている。信仰においてキリストにつながっていることが土台であり、それに基づいて教会は成長する」(クルマン「ペテロ」)。
 「信仰告白の上に」にキリストの教会がたてられるというのは、すぐれた解釈ではあるが、他方では問題性をももっている。ペテロのこの告白は後にイエスの受難の時、イエスの否認によって挫折した。また歴史的な状況の中で「信仰告白」はナチズムに支配されたドイツでも、軍国主義下の日本でも「歪められ」ヒトラー崇拝や天皇崇拝に陥った。すなわち信仰告白キリスト者の行動によってゆがめられたり、否定されたりするからである。それでクルマンはこう解釈する。
 18節をクルマンはこう訳す「あなたは岩(アラム語でケパ)である。そして私はこの岩(ケパ)の上に私の教会をたてよう」。そして二番目の「この岩」はまさしく最初の「岩」を指している。とすれば「この岩」は、人間ペテロやペテロの「主告白」をではなく、さらにカトリックのように「ペテロの後継者・教皇」をも意味していない。クルマンによれば「この岩の上に」においては、Ⅰコリント3:10「私は賢い建築師のように(教会の)土台をすえた」黙示録21:14「都の城壁には12の土台があり、それには小羊の十二使徒の名が書いてあった」、それに工ペソ2:20「使徒たちや預言者という士台」などを根拠にして「使徒職」が言われている。「ここでは、建設されるべき教会の、ペテロと言われた《使徒的土台》について語られている」。マタイのこの箇所は、他の箇所にまさってペテロの使徒職が教会の土台であることを強調している(参照、ヨハネ21章)。
 (2)18節後半「黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」。グニルカ、ザント訳では「黄泉の門もそれに打ち勝つことはない」。「黄泉・よみ」は明らかに死者の国が意味されている(詩9:13「死の門から私を引き上げられる主よ」、知恵の書16:13「あなたは生死をつかさどる権能をもち、人をよみの門まで連れて行き、また連れもどされる」など)。ペテロの使徒的な土台の上にたてられるエクレシアは死の門、死の力に打ち勝つ、死の門は決してエクレシアに対して開かれないと言っている。
 ここでの眼目は、死に対するキリストの復活の勝利がペテロの教会にも作用するという約束である。キリストの権能は、死と復活によって死に打ち勝つことにあった。「キリストは死を減ぼし福音によって生命と不死を明らかに示された」(Ⅱテモテ1:10、Ⅰコリント15:57)。「イエスは死に対して力をもつ者、すなわち悪魔をご自分の死をとおして減ぼされ、それによって生涯死への恐怖の奴隷となっていた者たちを解放するためである」(へブル2:14~15)。イエスのメシア的な活動の一つが、地上における死との戦いであった。それが病気の癒しであり、死人の復活であった(マタイ11:4、5)。しかもイエスは生前において弟子たちの派遣においてこう命じられた「ただイスラエルの家の失われた羊に行け。行って《天国は近づいた》と言え。病人を癒し、死人を生き返らせよ」(マタイ10:5~8)。
 「死との戦い」は、弟子たち、ペテロの使従的な士台の上にたてられるエクレシアに課せられたのである。しかもこのエクレシアは死に勝つと約東されている。
 19節の「天国の鍵」は、18節の「黄泉の門」すなわち死者の国の門と対比される。「結ぶ-解く」という用語は、より直接的には「罪を赦すこと」である。ヨハネ20:23。罪の救しの権能は、筆顕の使徒ペテロに、そして使徒集団全体に与えられることとなった(18:18)。権能の委譲である。重要なのは、エクレシアが「死者の門、死の力に打ち勝つ」という約束とペテロに与えられた「天国・神の国の鍵」との関連である。「天国の鍵の力はペテロをいわば復活の人間的な器にしている。《ペテロは神の民を復活の国へと導かなければならない》。これこそ、彼が地上でイエスの死と復活の後に果たした課題である」(クルマン)。ペテロが「天国の扉を開く」手段は、伝道であり宣教をもって天国への道を開こうとした。
 私たち現代の教会は、まだ死が支配している現在の世に存在しているが、エクレシアは神の国を示すこの復活の力にあずかっている点をふまえなくてはならない。ペテロは「主の復活の証人」(Ⅰコリント5:5、行伝1:22、3:15)であったが、教会もキリストの復活の証人となるべきである。教会は「死との戦い」の課題をもつ。現代人が最も恐れているもの、それが死であるが、この死との戦い、キリストの復活について証言し「体のよみがえり」について語ることが、教会の課題の一つである。(一世紀の終わりに書かれた「第一クレマンス書簡」によれば、ペテロは殉教したとある。ポーランドの作家シェンケヴィッチのノーベル賞作品「クオ・ヴァディス」によれば、その死はイエスと同じの十字架ではおそれおおいということで、逆さ十字架であったという。ペテロはとにかく、絵になりやすい人物で、レンブラントの「ペテロの否認」という小さい絵は京橋のプリジストン美術館にある。それにバッハの「ヨハネ受難曲」のペテロがイエスを否認した後に歌う「ペテロの否認のアリア」は、いかなる注解書も及ばないほど、ペテロの否認の罪と嘆きを明らかにした。遠藤周作は、イエスは振り返ってペテロを見つめられたというルカの記事を手がかりに、背くペテロへのイエスの愛を掘り下げた、「母なるもの」)