建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

最高法院の審問

1998-12(1998/3/22)

最高法院の審問

 イエスが死にたもうた理由は、一つには、イエスが誰に審問され、裁かれたかによって、もう一つには、神によって明らかになる。この点を学んでみたい。
 (1)マタイ26:59~66 
 「さて大祭司と最高法院全体はイエスに対する偽りの証言を求めていた。それによってイエスを死刑にするためであった。そして多くの偽証の証人が登場してきたが、何も見出せなかった。そこで最後に二人の者が出てきて言った、この人は言いました『私はこの神殿を破壊して、三日で建てることができると』。そこで大祭司は立ち上がってイエスに話した『お前は何も答ないのか。この人たちがお前にこれほど不利な証言をしているではないか』。しかしイエスは沈黙しておられた。そこで大祭司が話した『お前が神の子、メシアなのかどうか、生ける神に誓って私たちに言ってくれ』。イエスは彼に言われた 『それだと言ったのはあなただ。しかし私はあなたがたに言う、今より後人の子が力ある方の右に座し、天の雲と共に到来するのをあなたがたは見るであろう』。そこで大祭司は自分の上着を裂き、言った『彼は神を冒涜した。これ以上どんな証言が必要であろうか。見よ、あなたがたは今冒涜を耳にしたのだ。あなたがたはどう考えるのか』。彼らは答えて言った『彼は死に当たる』と」グニルカ訳。
 時は過越の食事の後(26:17以下)、夜である。場所はカヤパの屋敷。生死に関わる重大案件は夜間には行なわないとのラビの規定にもかかわらず、審問は夜間に開かれた(26:57)。これは木曜の夜で金曜日の夕には安息日(絶対審問はできない)が始まるから事を急いだのだ。57節の「最高法院」はユダヤの70人議会のことで、祭司長たち、律法学者(ニコデモ、ヨハネ3、19章。ガマリエル、行伝5章など)。長老たち(金持の地主たち、信徒、アリマタヤのヨセフら)からなっていた。議長は現職の大祭司カヤパ(任期18~37年)。祭司長らはユダヤ教の最高の地位にありサドカイ人、保守的な祭司階級で、大祭司職は高額の賄賂を総督に払って得ていたので、その行動は親ローマ的。
 イエスをめぐっては、アリマタヤのヨセフ、彼はイエスへの最高法院の判決に反対であった(ルカ23:51)、ニコデモの行動、ヨハネ7:48以下、特にヨハネ12:42、「イエスの連行」は正式な最高議会で審問するためであり、イエス捕縛も彼らの意志で行なわれた。当時のユダヤは王が存在せず、政治的な権力は総督ピラトが握っていた。しかし最高法院は宗教的な支配とその裁判権をもっていたが、死刑の判決は与えられていなかった。他方政治的裁判権はあくまでローマ帝国、総督ビラト(任期26~36年)がもっていて、死刑判決も出せた。
 結局ユダヤ最高法院はイエスをどのような罪で有罪としようとしたのであろうか。彼らの意図は明白であった「イエスを死刑にするためであった」59節。したがって、このサンヘドリンによる審問は「公正な裁判」ではなく、はじめから「予断をもった悪意の裁判」であった。過越の祭りの時の審問にも彼らの強い意志がうかがえる。イエスに不利な証言が出される、神殿を打ち壊して3日で建てることができるとか、59~61。しかし期待した成果が出てこない。
 やむをえず、最高法院の議長のカヤパはイエスに直接審問する、63節後半。この質間とイエスご自身の回答はこの審問の頂点となる。
 「お前は神の子、キリストなのか」。「イエスは彼に言われた『私がそれだと言ったのはあなただ。 今より後あなたがたは、《人の子は力あるお方の右に座し、また天の雲にのって到来するのを見るであろう》』」。
 第一に「私がそれだと言ったのはあなただ」。イエスの答は直接的な肯定ではなく、間接的なそれである。ルカ22:70「私がそれだと言っているのはあなたがただ」、塚本訳は「そうだと言われるなら、ご意見にまかせる」。到底否定の意味はないが「決定的ではない肯定」である、ブリンツラー。イエスは「答を回避した」との解釈はある。しかしマルコ14:62「私はそれだ」(原文では「エゴー・エミ」)は「絶対的な肯定」ととれる。ほどんとの解釈は「イエスが神の子であることを公言している」とみる、コンツェルマン。イエスはカヤパの質問に《肯定的返事》をされたのだ。
 第二に、「今より後、人の子は力あるお方の右に座し、また天の雲にのって到来されるのをあなたがたは見る」。この「人の子」はダニエル7:13「人の子のようなものが天の雲に乗ってくる」に由来して、「人の子」はメシアのこと。ここでは「私」の意味もある。「神の右に座す」は詩編110篇に由来し、神のみ子の《高挙とみ子への就任・養子認定》。重要なのは「天の雲にのってメシアが到来する」《主の来臨・再臨》の言葉である言い換えると、主の来臨は遠くないのだ(ルカ22章にはこの部分はない)。
 第三に、イエスはご自分がメシアだと認められた。カヤパは「自分の上着を引き裂いて言った。『彼は神を冒涜した。これ以上どんな証言は必要だというのであろうか。見よ、あなたがたは今神冒涜を耳にしたのだ』」。
 「上着を引き裂く」は人の死を悼む時、あるいは神聖冒涜に直面した場合の行動。
 「神聖冒読」は神の名を口にして神を呪うような行為。特に神殿破壊に関する発言などをいった。
 《ご自分をメシアと公言されたイエスの返事》をカヤパは「冒瀆」瀆神罪に当たるとみた。これに対して、イエスのメシアであるとの自己証言によっては「サンヘドリンは死刑判決を出せない」との有力見解がある、コンツルマンなど。引き合いに出されるバル・コクバ(後130年ころ)はメシアと呼ばれたが、瀆神罪で告発されていない。他方ステパノの場合、瀆神罪とみなされたのは(行伝6:14)イエスが神殿を破壊し律法を廃棄するとステパノが予言したことによる。さらにステパノが、神の右に座すイエスを見たと言って、石打ちの刑にあった、7:55。
 イエスの言動のうち当局が問題視しそうな箇所としてあげられるのは、イエスが罪を赦す力があると主張された点、マルコ2:7。「私と神とは一つである」ヨハネ10:33以下。しかしこれらは審問においては全く問題にされないで、イエスのメシア証言のみが取り上げられた、そしてカヤパは自分の服を引き裂いて、イエスの証言を瀆神としたのだ。
 この審問でメシア告白をしたイエスをカヤパらが《どのようにして瀆神罪にできたか》の問題に対する解釈は、なかなか難しい。結論は簡単である。「ユダヤ教のメシア像」とイエスの姿がかけ離れていたからだ。「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなくわれわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53:2)。抵抗することなく捕縛され、自分の友、弟子たちから見捨てられ、無力の中で敵の暴力に引き渡された憐れなイエスの今の姿には「メシア的な輝き」が欠落していた。だからイエスのメシア告白は彼らには《メシア僭称》にみえた。イエスご自身がその時点でメシア告白などをしないで、敗北者として沈黙しているなら、無罪となったであろう。しかしイエスはどのような無力とあわれさとみすぼらしさの姿であろうとも、メシア告白に固執された、そこで「このような者がどうしてメシアのはずがあろうか」すなわちイエスはメシア僭称している、とサンヘドリンに映ったのだ。それが即、瀆神罪を構成するとみなされた。かくてサンヘドリン全員が「彼は死に当たる」と判決した。