建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅰ.囚われ人の希望-1 解放としての希望


Ⅰ 囚われ人の希望
Ⅰ-1 解放としての希望 
 希望というテーマについて探求する場合、ひときわ希望について(考えざるをえない人々)が存在するように思える。それは苦境にある人々である。一般に順風満帆にある人、静かで落ち着いた生活をしている人々には、希望の問題は差し迫まったものとはなりえない。希望の問題が焦眉の事柄となるのは、いずれも何かに囚われた人、苦境にあってそこからの解放を待ち望んでいる人においてである。何ヵ月も入院している患者(患者のことを英語でPatient辛抱の人、と呼んでいるのは意味深い)、治癒する見込みのない成人病患者、第二次大戦中、強制収容所に入れられた人、捕虜になった人、人生の途上で絶望してしまって失意の中にいる人、など。
 フランスの哲学者ガブリエル・マルセルはこのポイントについて次のように語った「まず自分が囚われ人であると認識する限りでしか、 私たちは希望をもっことはできないだろう。そしてこの隷属状態は病気や追放のごとく、さまざまな形で私たちの前に提示されている」(「存在の神秘」一九四九)。エルンスト・ブロツホは「希望をもつためには、まず希望について学ばなければならない」と述べた(「希望の原理」第一巻、一九五九)。これらの発言は、希望のテーマに接近する場合の、一つの重要な視点となる。
 ドイツの神学者ユルゲン・モルトマンはこう述べている。
 「私はドストエフスキーの読者、愛好家にすぎない。しかし私は三年以上捕虜であった。そして囚われ人の語る用語《不幸な人々》(囚人をドストエフスキーはこう呼んだ)の孤独と空想とを私は少し理解した。鉄条網に囲まれたバラックで最初に読んだのは『死の家の記録』『罪と罰』『悪霊』であった。ドストエフスキーは、当時私自身に《完全な空想と幻影》であったところの私の状況を理解する手助けをしてくれた。民衆の中で、民衆と共に苦しみかつ希望をいだくこと、このことを彼は私に示してくれたのだ。思い起こしてみると、『希望の神学』[一九六七年に出版された彼の主著の一つ]の諸モチーフは囚われ人であったあの時期に成立したのだ」(「F・ドストエフスキーと囚われ人の希望」 一九七三)。
 このように希望のテーマに関心をもちそれを探求した人々は、 人間の囚われの状況に着目し、 あるいは囚われの体験者であった点は注目してよい。 ブロツホもナチスユダヤ人追害を逃れるためアメリカで九年間の亡命生活を余儀なくされた。そしてこの亡命生活の中であの膨大な「希望の原理」を書き上げた。
 私たちは、「囚われ人」として「政治囚、強制収容所の囚人、捕虜」と「入院患者」をあげたい。囚人と入院患者との共通点は、当然のことながら、通常の人の場合以上に苦しみ、またある点では自分の人生ではじめて死にも直面させられ、かつ自分のその囚われからの解放、病気や入院生活から解放・自由になることを渇望する人々である。
 マルセルによって希望の形を「解放としての希望」と「不減への希望」とに区別すれば、囚われ人の希望は「解放としての希望」である。
 他方「希望において重要なのは、《何に希望をいだくか・spes quo・スペース・クオ》ばかりでなく、《どのようにして希望をいだくか・spes quae・スペース・クワエ》である」といえる(カント「純粋理性批判」)。囚われ人においては、とりわけ後者も焦点となっている。
 さらに、彼らは共通に、囚われの生活の中で《自分の実存の変貌》をとげた。この点はまことに興味深いが、娑婆の人間においても、囚われ人の場合も「自分の欲望に固着する場合には、希望をいだくことができない」、言い換えれば、希望と欲望とは別物なのではないか。このポイントもマルセルが指摘した。欲望的な自己からの変容、これは実存の再生体験である(後述)。
 私は、シベリアに抑留された日本兵捕虜の「手記、ノン・フィクション作品」をかなり読んでみたが、ソ連のラーゲル(強制収容所) でこんなひどい目にあったといった被害者意識のみを強調する内容のものには、共感をおぼえなかった。その中で高杉一郎の「極光のかげに」(一九五〇)には感動した。石原吉郎「望郷と海」、辺見純「語られた遺書」も印象に残った。画家の香月一郎の「私のシベリア」 (体験記) の描いた絵はみたいと思った。
 以下で囚われ人が「何に希望をいだいたか」「どのようにして希望をいだいたか」について探ってみたい。