建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅰ.囚われ人の希望-6 諦めの人生

諦めの人生
 諦めの人生は、パスカルが明らかにしたように、苦境にある自分の苦しみを絶えずしずめ、自分で気晴らしをしなければならない。現実には慰めを得られないものの、現在のもの、はかないもの、いわば見せかけのものをもって自らを慰める人生である(「パンセ」)。
 ソルジェニーツィンは、ラーゲル生活の後、流刑の時期、一九五四年から一年間、ガンの治療のためカザフ共和国のタシケントの国立病院に入院した。この体験から生まれたのが「ガン病棟」(一九六七)である。主人公オーレクは三四歳、ガンにかかったが、入院治療の結果、治癒して退院を待つばかりであった。ある夜眠れないままに、病棟の廊下で当直をしている、中年の雑役の婦人に話かけた。
 「それは眼鏡をかけた奇妙に教養の高い、雑役婦のエリザベ-タだった。宵のうちにすっかり仕事を終り、今やここにすわって本を読んでいる」(小笠原豊樹訳)。オーレクはすでに顔をあわせるやいなや互いの身分を察知しあう人物として、この婦人を見ていた。「例え一度なりと有刺鉄線の影を身体に浴びた人間をすぐにそれと知るのであった」。婦人の故郷のレニングラードで、家族もろとも危険分子として追放処分にあい、今や遠いこの病院で八年の流刑囚として働いていたのだ。彼女の夫はオーケストラのフルート奏者であったが、東シベリアのラーゲルに送られ、今では文通もとだえがちであった。それに移住先で娘を亡くし、八歳になる息子と二人で暮らしていた。婦人はオーレクよりもかなり年上で、年より老けて見え、小柄でやせていて、その手は病院での水仕事のために荒れて傷だらけであった。
 婦人が読んでいたのはフランスの冒険小説であった。オーレク「なぜいつもフランス語の本ばかり読むんですか」。婦人「こういうものなら、読んでいてつらくありませんから」。むろん彼女はかっては「かたい本」に慰めを求めようとしたこともあった。しかしその結果は二つの失望を味わっただけであった。失望の一つは、本来読書で得られるはずのカタルシス(苦しみや悲しみの浄化)を与えられなかったことにである。
 「アイーダ[ヴェルデイのオペラ「アイーダ」のヒロイン]は愛する人ラダメスのいる地下牢に下りて、 一緒に死ぬことを許されました。でも私たちには愛する人の消息さえ知らされません。アンナ[トルストイの「アンナ・カレーニナ」のヒロイン]は不幸だったでしょうか。自分の情熱に生きてその代償を支払ったのですもの[不倫による自殺]、幸福な一生だわ」。婦人から見ると、このような悲劇のヒロインたちの悲しみよりも、自分の体験したそれのほうがはるかに深くかつ激しいものに思われ、書物が与えるはずの苦しみをやわらげるカタルシスが起こらないのだ。
 彼女のもう一つの失望は、かたい本のテーマにっいてであるとぃう。その種の本はあたりさわりのない「安全な事柄」しか取り上げないばかりか「現在苦しんでいる人々には何の関心もない。一体いつになったら《私たちのこと》が小説に書かれるのでしょう。百年たたないとだめなのですか」。