建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅵーパウロの復活理解-2 使徒行伝九章パウロへの顕現

使徒行伝九章
 ここでダマスコ途上で回心してキリスト者となった記事、行伝九、二二、二六章にあるパウロの復活のキリストとの出会いについて、言及したい。パンネンベルクは、第一コリント一五・八以下と行伝九章を連動させて取り上げた(「キリスト論要綱」)。
 「さてサウロ(パウロ)は主の兄弟たち[キリスト者ら]に向って、なお威嚇と殺害とに息巻いて、大祭司のもとに行って、ダマスコの諸会堂への書簡を求めた。彼がその地で『道』に帰依する者たち[キリスト者]を見つければ、男であれ女であれ、縛ってエルサレムに連行するためであった。その途上で彼がダマスコに近づいた時に起きたことである。突然、天からの光が彼を照らした。彼は地に倒れて『サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか』という声がするのを聞いた。彼は言った『主よ、あなたはどなたですか』。するとその声は言った『私はあなたが追害しているイエスだ。さあ、立ち上がって街に入りなさい。あなたがなすべきことが語られよう』。彼と共に旅をしていた従者たちは唖然としてそこに立っていた。《彼らは声は聞いたが、誰も見えなかった》。サウロは地から立ち上がった。しかし目は開かなかった。彼はものが見えなかった。彼らは彼の手を引いてダマスコに連れていった。彼は三日間目が見えず、飲食しなかった」(行伝九・一~九、ヘンヒェン訳)。
 この話は、二二・三以下、二六・一以下でもふれられている。サウロはパウロのへブル語の名、行伝二一・三九。「主の兄弟たち」「道の帰依者」もキリスト者の意味。七・五八、八・一、三、九・一三などで、ユダヤ教徒時代のパウロ(サウロ)が、《エルサレムを舞台に》キリスト者を追害し、かつステパノの殉教に賛成しその場にも居合わせたと述べている。しかしこれについてはパウロ自身が否定している、「私はユダヤの諸教会には個人的には知られていなかった」(ガラ一・二二)。ユダヤ以外のローマ領シリアのダマスコの、キリスト者たちの拘束と連行の権限委任の書簡をエルサレムの「大祭司が出せた」かについて(九・二)、ボルンカムは強い疑念を出している(「パウロ」 一九七〇)。行伝はルカによって後九〇~一〇〇年ころ、つまりパウロの活動時期より三〇年も後に書かれたものだから、記述内容に食違いがある場合はパウロ自身のものを採用すべきである(ボルンカム、前掲書)。パウロキリスト者迫害の地域は、ユダヤ以外の地、小アジアなどが考えられる。
 行伝九章における中心は、三~六節。
 第一に、「天からの光」はキリストの復活顕現を意味している。復活した方は、墓から出現するのではない。復活した方は「天に挙げられた」(行伝一・九、ロマ八・三四)、復活は即高挙である。それゆえその方の出現も天からの「挙げられた主の顕現」(ミハエリス)である。ここでは復活顕現は「天からの光」と表現されている、三節。
 第二に、パウロに顕現した方は「霊の体なるキリスト」である(第一コリ一五・四四)。彼は他の箇所でこう言っている、「神はみ子を私に啓示された」(ガラ一・二二)。
 第三に、この出来事は彼がキリストの声を聞いた「黙示的幻視、幻聴」の出来事であった。「サウロと一緒に旅してきた従者たちは、唖然としてそこに立っていた《声は聞いたが、誰も見なかった》」(行伝九・七)、「連れの者たちは《光は見たが私に話された方の声は聞こえなかった》」(同二二・九)。
 「従者たち(目撃証人ら)はこの啓示に関与することを許されていない。『声は聞いたが光は見なかった』『光は見たが声は聞かなかった』。そうだとすれば、言表の意味ではなく、表現方法が変わったことになる」(ヘンヒェンの注解)。その現場に同時に居合わせて、一方は「見聞きした」のに、他方は「そうでない」、このような現象は「黙示的幻視、幻聴」(Vision)と名づけられる。これは精神病的疾患のある者が「健常者が見聞きしないこと」を「見聞きしたと思い込む、つまり精神病的幻視幻聴」ではなく、宗教学的概念での「Vision」(オットー「聖なるもの」)。パウロは第二コリント一二章で「ヘレニズム的幻・オプタシア」について語っているが、ここはそれとは違って、彼自身がいう「啓示・アポカルプシス」である(ガラ一・二二)。行伝二六・一九ではこの顕現を「天からの幻・オプタシア」と呼んでいる。
 「Vision」の訳語は難しいが、一応「黙示的幻視」とした。この「ヴィジョン・Vision」こそ復活顕現の重要な特徴であり、けして実在しないものの「デッチあげ」ではない。
 第四に、パウロへの復活顕現の理由はこう述べられている、「私があなたに現われたのは、あなたが見たこと、あなたに示されたことの証人とするためである。すなわちあなたをこの民と異邦人(の追害)から救い出し、彼らにあなたを遺わして、彼らの目を開けて彼らが暗黒から光へ、サタンの力から神へと立ち帰り、私への信仰をとおして、罪の赦しと清められた人々の間で分け前[神の恵み]を受けるためである」(行伝二六・一六以下、ヘンヒェン訳)。
 パウロはこの顕現に出会って「目が開かなくなった」(行伝九・八)。神殿の祭司、洗礼者ヨハネの父ザカリアは神殿において幻を見て「口がきけなくなった」。ザカリアが神殿から出てくると口がきけなかったので、彼が聖所で《幻・オプタシアを見た》ことが民衆にわかったのだ(ルカ一・二二)。
 さらにパウロは自分が教会の追害者から一八〇度転換してキリストの宣教者となったことについてこう述べた「かつて私たち[キリスト者]の追害者が、かつて粉砕したその信仰を今では宣教していると、彼ら(ユダヤの諸教会)は聞いて、私のゆえに神を讚美した」(ガラ一・二三)。波多野精一の「キリスト教の起源」にあるように、パウロの劇的回心を、彼がステパノの演説を聞いて衝撃を受けて、激しい葛藤をつくり出してそれがダマスコ途上で劇的回心をとげて復活信仰に到達したといった、(心理学的説明をする)必要はない。真実の神体験というものは、その体験者に人々の注意を惹きつけて、その人物と体験内容に驚嘆させる、という形をとらない。むしろここにあるように、その人にその体験を可能にしてくださった神へと人々の注意を向けさせて、彼らの中に神讚美を起こさせるものだ。パウロにおいては「教会への迫害者」、ペテロにおいては「主イエスを否認した経験」、復活顕現に出会った使徒たちは、自分のそういった罪を告白することなしにはこの出会いについて語ることができなかったのだ。