建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イエスの死  ルカ24:25~27

1997-12(1997/3/23)

エスの死  ルカ24:25~27
 
 「そこでイエスは彼らに語られた『ああ、 預言者たちが語ったことを何一つ信じないとは、なんと理解力のない、心のにぶい者たちよ。メシアはこれらのことを苦しみ、それからご自分の栄光に入るはずではなかったのか』。そしてモーセとすべての預言者から始めて、聖書全体において《メシアについて扱っていること》を説明された」。
 ここはいわゆるエマオへの途上にある弟子たちへのイエスの復活顕現の箇所の一部分である。時間の流れとしては、イエスの苦難の物語は、捕縛、訊問、十字架、死、埋葬、復活と出来事は続いていった。しかしながら、イエスの十字架と復活の間には、はじめから大きな亀裂が走っていた。というのは、弟子たちには、イエスの十字架の死というものが全くわからず、イエスの死につまづいたからだ。「私は羊飼いを打つ。羊は散らされるであろう」(マタイ26:31=ゼカリア13:7)とあるように、羊飼い・イエスが打たれた時、羊たち・弟子たちは散らされた。この24章にはイエスの十字架の死に対する弟子たちの失望が述べられている「この方はきっとイスラエルを贖ってくださると私たちは望みをかけていました」(ルカ24:21)。「その希望はイエスの死によって粉砕されたと、二人は思った」(ヴィルケンス「復活」)。続いてイエスの死んだ時点での「空虚な墓」について弟子たちは語っているが(21後半~23節)、この弟子たちの失望を克服するものではない。弟子たちのエマオへの旅はこのような状況にあった。言い換えるとイエスの死の直後においては、イエスの死の意味「キリストは私たちの罪のために死んだこと」(第一コリ15章)という最古の伝承はいまだ認識されていなかったことを、このエマオの記事はうかがわせる。エマオの弟子たち、クレオパと他の一人は、イエスの死、空虚な墓にいまだ「狼狽している」。                  では弟子たちは《どのようにして》イエスの死の意味を信じるようになれたのか。これに答を-出そうとしている一つがこの箇所である。それは「モーセと預言者すべてから始めて彼・メシアについて聖書全体が言及していることをイエスが説明された」(27節)という仕方。復活のイエスが自らが受ける受難の運命が旧約聖書のメシア預言と一致すると彼らに説明された、という仕方であった(ルカ24:44~46)。弟子たちがイエスの死を旧約聖書に示された「メシアの受ける受難の運命」と重ね合わせることの内容については、具体的にはしるされていない。
 イエスの受難物語全体で旧約聖書が関連づけられる箇所としては、ザカリア13章(羊達は散らされる、マタイ26:31)、エレミヤ31章(新しい契約、マタイ26:28以下)、詩22篇(十字架上の叫び、マタイ27:46)がよく知られている。
 とりわけよく引きあいに出されるのは、イザヤ53章である。イザヤ53章はルカ22:37でしか引用されていないが、むろんこの「苦難の僕」は重要な関連箇所である。イザヤ53章のテーマは、52:13~15と53:11後半~12で、苦難の僕に与えられた「神の栄光」について述べている、「見よ、わが僕は高められ、上げられ、いと高くなろう」(中沢洽樹訳 52:13)。これにはさまれた箇所53:1~10は、「諸国民と王たちの咎の告白」として述べられいる(ファン・レール)。「今や彼・苦難の僕は多くの国民を驚かせ、王たちは彼のゆえに口をつぐむ。彼らは語られなかったことを見、聞かれなかったことを悟ったからだ」(52:15)。こうして53:1~10が始まる。注目しなくてはならないのは、第一に「彼・苦難の僕」と「われわれ」との対比において、「われわれ」はイスラエルではなく、先の「諸国民と王たち」を意味する、彼らはユダヤ人ではなく「異邦人」である。第二に「彼・苦難の僕」の受けた苦しみは、すでに過去の事柄として回顧されている、しかも、苦難の僕が「高められ」(52:13)「光を見る」(53:11)という将来の栄光から見た彼の苦難がしるされ、すなわち苦難の僕の「苦難が誰のためのものか」について「逆転」がある点である。
 具体的には、栄光の光を当てない場合の苦難の僕の苦難についてこうある「多くの者が彼を見て驚いた。その面影はそこなわれて人とも見えず、その姿は人の子とも見えなかったゆえ」(52:14)、「彼は卑しめられて、人に棄てられ、悩みを知り、悲哀の人であった。人が顔をそむけるまでに卑しめられ、われらも彼を心にとめなかった」(53:3、マルコ9:12)。ところが栄光から見た苦難の僕の苦難は様相を一変する、「まことに、彼はわれらの悩みを負い、われらの悲哀を担った。《しかし》われらは思った、彼は打たれる、おのれの罪科のために神に打たれる、と。彼はわれらの不義のために刺され、われらの罪科のために砕かれたのだ」(53:4=マタイ8:17、5=第一ペテロ2:25、中沢洽樹訳)。栄光の光を当てない場合、彼の苦しみは、あくまでも「彼自身の罪科にために」ふりかかったものである。しかしその光を当てると、彼の苦しみの原因は「彼自身の罪科のゆえ」ではなく「われらの不義のたに彼は刺され、われらの罪科のために彼は砕かれた」ことが明らかとなる。そして5節後半では、苦難の僕の苦難が「われら」に何をもたらしたかが述べられる、「彼の懲罰はわれらの平安、彼の傷痕はわれらの癒しのためであった」と(中沢洽樹訳)。
 苦難の僕の「死」は暴力によるものであった。「彼は苛酷なさばきによって取り去られた。その運命の転換をだれが思ったか。彼が生ける者の地から断たれ、わが民の罪過のために死に渡された時。人はその墓を悪人と等しくした」(8~9前半=マルコ15:28)。10節において、彼の苦難は彼ゆえのものではなく、神の御心から出たという「ヤハウエは彼を砕くことを喜び、彼を刺したのであった」。ここまでが、諸国民と王たちの罪の告自である。10後半から12までは、完全に栄光から彼の評価がなされている、「ヤハウェの御心は彼の手によってなしとげられる」(10後半)。神の御心とは「異邦人の義認」である。11節後半「わが義しき僕はその知識によって多くの者を義とし、彼らの咎を彼が担う」。12節では、僕は神からほうびを与えられる「それゆえ私は多くの者を彼の分け前とし、大勢の者を分捕ものとして彼に与えよう。彼はその生命を注ぎだして死に至り、不義なる者とともに数えられたから。彼は多くの人の罪を負い、不義なる者のために執り成しをした」。
 イザヤ53章の苦難の僕は、その時点では理解できないその人の受けた苦難が、後になって、あるいは神によって与えられる全く別の光のもとで、彼の苦しみが自分たちのためのもであったことがわかる、という理解の仕方を告げている。
 エマオの弟子たちの場合も、この「原型」、僕が後に「高められる」という栄光が僕の受けた苦難を全くものに変えた、「彼の懲罰はわれらの平安、彼の傷痕はわれらの癒しのためであった」(5節)。同じよつに十字架の死のイエスも、「ご自分の栄光に入る」ル力24:26、復活したお方となる、この全く別の復活の光からイエスの死を把握しなおす力を彼らに与えた、旧約聖書のメシア預言によって「彼らの目が開けた」(31節)のだ。彼らは苦難の僕をイエスと同一視することができたのだ。そしてイエスの担われた苦難もイエスご自身の咎のゆえではなく「彼は多くの人の罪を負い、不義なる者のためにとりなしをした」ととらえることができた。特に苦難の僕の箇所全体がイスラエルに対してよりも、異邦人「諾国民とその王たち」に向けられ、僕の苦難をとおして《彼らが自らの深い罪の告白をなしたこと》、僕の苦難が「異邦人の義認」を実現する「神の御心」にそうものであったという内容は、初代のキリスト者にとって決定的であった。
 私たちも、イエスの苦難と僕の苦難とを重ね合わせて、イエスの苦難を受けとめたいと考えます。「イエスの受けられた懲罰は私たちの平安、イエスの受けられた傷痕は私たちの癒しのためであった」(イザヤ53:5、第一ペテロ2:24)。