建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅰ.囚われ人の希望-4 孤独

孤独ドイツの神学者ボンヘツファーは「私たちは交わりの中にいることにおいてのみ、 一人でいることができる。一人でいる者だけが、交わりの中に生きていくことができる」と語った(「交わりの生活」一九五五)。この見解は、孤独になれない状況に置かれた人間…

Ⅰ.囚われ人の希望-3 強制労働-労働の意味は給料にあるのか

強制労働-労働の意味は給料にあるのか ドストエフスーは「心をこめた過度の仕事、これこそ一番の幸福です」と拘置所から兄宛の手紙に書いた。石川啄木も「こころよく 我に働く仕事あれ それをし遂げて死なんとぞ思ふ」と歌った(「我を愛する歌」)。現代人に…

Ⅰ.囚われ人の希望-2 空想

空想 ドストエフスキーは囚われ人と牢獄の外にいる自由な人とでは、現実の生活に占める《空想、希望》の重みが全く異なるという(「死の家の記録」一八六二、小沼文彦訳、この作品は周知のように政治囚として彼が四年間西シベリアのオムスクの牢獄に入れられ…

Ⅰ.囚われ人の希望-1 解放としての希望

Ⅰ 囚われ人の希望Ⅰ-1 解放としての希望 希望というテーマについて探求する場合、ひときわ希望について(考えざるをえない人々)が存在するように思える。それは苦境にある人々である。一般に順風満帆にある人、静かで落ち着いた生活をしている人々には、希望…

平和研究(大学講座レジメ)5 キリスト者の戦争責任の懺悔・告白

4.キリスト者の戦争責任の懺悔・告白 (1) 1946年1月、日本キリスト教団(日本のプロテスタントの最大教派)の指導部・ 常置委員会と統理者・富田とは、「戦時中における教団立法行政の実相――戦争責任は何人か」の「総括文」を発表した。 戦時下日…

平和研究(大学講座レジメ)4 富田満の神社参拝説得工作

3.ピョンヤンにおける富田満の神社参拝説得工作 1938・昭和13年6月 朝鮮のキリスト者が「神社参拝」に抵抗した理由は三つあげられる。 (1)キリスト教信仰が神社参拝を祖先崇拝、偶像礼拝とみなして、拒絶させた。「朝鮮のキリスト者は神社参拝を…

平和研究(大学講座レジメ)3 神社問題

2.神社問題「神社問題」というのは、帝国憲法の下で「国家神道体制」と信教の自由(帝国憲法・第28条)との衝突の問題である。(戸村政博「神社問題とキリスト教」1976) ここの「国家神道体制」とは、日本流の「国教」のことである。明治初年以降、…

平和研究(大学講座レジメ)2 15年戦争と靖国神社

1.「15年戦争において、靖国神社はどのような機能を果たしたか」 参考文献:村上重良「慰霊と招魂」(1974)、「天皇制国家と宗教」(1985)、相沢建司「宗教者の戦争責任」(1995) 「15年戦争」との表現は評論家・鶴見俊輔が名づけたも…

平和研究(大学講座レジメ)1  はじめに

2008年12月 はじめに 「平和について考える、学習する」という場合、そのテーマがこれまで取り上げられてきたさまざまな問題をふまえる必要がある。このテーマは、私の場合、歴史学者・家永三郎氏の著書『戦争責任』(初版1985、15刷1993)を何度…

第四章 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題-2

第四章 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題-2 2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 国家と宗教という視点 キリスト者の抵抗のエネルギーは何から得るのか。 「一五年戦争の時期、ドイツや朝鮮においては、キリスト者…

第四章 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題-1

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第四章 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題 辻宣道牧師(一九三〇~九三、九二年まで日キ教団議長)はその著書「ホーリネス弾圧と私たち」(一九九二)の中で、戦時下ホーリネスの弾圧…

第三章 勝田文相の発言 柏木義円による批判

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第三章 勝田文相の発言 柏木義円による批判 日本のキリスト者においては、憲法のいう「信教の自由」をただ内面におけるものと把握し、この自由が外面における信教の自由の行使の自由、すなわち布…

第二章 安中歴史探訪 湯浅治郎の活動ー2

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 湯浅治郎の活動 ここでは湯浅吉郎編「湯浅治郎」(一九三二・昭和七年、非売品、吉郎は治郎の次男、長男一郎が画家になったため次男の吉郎が家督を相続した)を唯一の手がかりにして、湯浅治郎の…

第二章 安中歴史探訪 湯浅治郎の活動ー1

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第二章 安中歴史探訪 湯浅治郎の活動 一九九九年八月初め、家内と群馬の安中市に行った。柏木義円(一八六〇~一九三八、一八九七年以後安中教会牧師、井上哲次郎との勅語をめぐる論争、日露戦争…

第一章 高木仙右衛門の抵抗 信教の自由を求める闘いー2

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第一章 高木仙右衛門の抵抗 信教の自由を求める闘いー2 明治維新政府の弾圧 この三ヵ月後、明治政府が成立、しかし明治政府も「キリシタン禁制の高札」をかかげ、神道国教化を目指した、一八六…

第一章 高木仙右衛門の抵抗 信教の自由を求める闘いー1

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第一章 高木仙右衛門の抵抗 信教の自由を求める闘い 日本には殉教の歴史がない、と評論家の加藤周一は語ったが、むろん例外もある。秀吉のキリシタン弾圧においては、戦国大名の高山右近は国外追…

「心の内ばかりで信ずること かないません」         -信教の自由をめぐる近代以後の教会史- はじめに

2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 はじめに このパンフは、拙著「宗教者の戦争責任」〔一九九五)を追補するものである。三年前の春と夏、家内と長崎のキリシタンの歴史探訪、群馬県安中の歴史探訪ができて、いささかなりともテー…

死の中で神に出会う

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅳ 死の中で神に出会う バルトは「人間は死ぬ時点で神に出会える」と述べている。私はこの見解に驚かされ、同時に強く惹きつけられた(「創造論Ⅲ/2)。 「償うこのできないこ…

ルターの死についての見解-2

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅲ ルターの死についての見解-2 「詩篇90篇講解」 この講解は、大学でなされた講義録の出版である(1535年、翻訳は1978年に金子晴勇訳が出た)。 ルターは古今の哲学…

ルターの死についての見解-1

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅲ ルターの死についての見解-1 ルターの「死に対する準備についての説教」(抜粋) ルターは死への恐怖を訴えるある信徒の依頼に応答する説教を1519年に出版した。翻訳は…

新約聖書における死の理解ー9

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー9 被造物的な生命の終わりとしての死についてのバルトの見解 バルトは、「創造論」Ⅲ/2の最後の部分で(776-790)罪の報い・滅びとして…

新約聖書における死の理解ー8

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー8 被造物性としての人間の死ーー創世記2、3章 ここからは「罪の報酬としての死」ではなく、被造物性としての死のテーマを取り上げたい。死のこ…

新約聖書における死の理解ー7

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー7 死からの解放 死を滅ぼすことができるのは神ご自身のみである。イザヤ25:8「ヤハウェは永久に死を滅ぼされる」。「最後の敵として、死が滅…

新約聖書における死の理解ー6

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー6 バルトの死についての見解 (1)バルトは述べている、神と私たちとの間には、埋め合わせのできない底知れぬ罪過が立っている。神の前での負債…

新約聖書における死の理解ー5

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー5 イエス・キリストの十字架の死④ み子のご自分の引き渡し パウロの言葉のうち、キリストの死について述べたほかの箇所をみたい。 パウロはイエ…

新約聖書における死の理解ー4

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー4 イエス・キリストの十字架の死③ 木にかけられた方 次に「十宇架のつまづき」(ガラテヤ5:11)を取り上げたい。パウロは述べている「十字架…

新約聖書における死の理解ー3

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー3 イエス・キリストの十字架の死② 苦難の僕 イザヤ53章の「苦難の僕」はイエスの苦難と死の解明について有効な手がかりを与えてくれそうである…

新約聖書における死の理解ー2

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解ー2 イエス・キリストの十字架の死① 新約聖書が述べたキリストの死についての見解、また教会史の中で主張され、論議されてきた「キリストの死につ…

新約聖書における死の理解-1

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅱ 新約聖書における死の理解 「第二の死」の視点 新約聖書における死についての見解の特徴は、周知のように、イエス・キリストの十字架上の死が中心にすえられている点にある。…

旧約聖書における死の理解ー4

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教- Ⅰ 旧約聖書における死の理解ー4 モーセの死 モーセの死には相反する二つの要素が共存している。一つは彼が神に背いたゆえの、審判として彼が死んだという点であり、もう一つは…